ワンシーンだけを描写する練習05「新宿歌舞伎町ハンバーガーショップ」

ワンシーンだけを描写する練習05「新宿歌舞伎町ハンバーガーショップ」

もう50年も前になるが、私は大手のハンバーガーショップでアルバイトをしたことがある。

私は厨房の鉄板でハンバーガーを焼いたり、バウンズをパン焼き機で焼いたり、ショートニングでポテトやパイを揚げたり、玉ねぎをみじん切りにしてタルタルソース作ったりしていた。

アルバイトはほとんどが大学生と高校生で、まるでクラブ活動のような雰囲気の楽しさがあった。クリスマスには店長や正社員も交えてパーティーが催されて盛り上がった。

1年半ほど勤めたが、その間には良い思い出も悪い思い出もあった。どれもありふれた出来事だが、その中からどの場面を素材にしようか迷う。ありふれたことだから逆に迷ってしまう。

でも、どんなにありふれたことでも、物語のワンシーンになり得るはずだという思いもある。その信念があれば、とるに足りない思い出でも構わないわけだ。気楽に考えよう。

いろいろ思い浮かぶ場面の中から、アルバイト仲間の人間関係を素材にしてみることに決めた。ありふれた人間関係から、物語のワンシーンが描けたら嬉しいのだが。

新宿歌舞伎町ハンバーガーショップ

もう50年も前になる。西武新宿駅の直ぐ近くに大手ハンバーガーチェーンのショップがあった。歌舞伎町だけあって、平日も賑わったが週末になると、いっときも休む暇のない忙しさだった。

今のショップのシステムはどうなっているか知らないが、私がアルバイトしていた時は、注文が入ると「ニューオーダー、バーガー、ツー、プリーズ」などとレジ前のマネージャーから厨房に声がかかった。

すると、まず大きな鉄板の前に待機しているハンバーガー担当が、「ツー、バーガー、サンキュー」と答えると小さな冷凍庫からパティを取り出し鉄板に縦に並べる。並べながらバウンズ担当に向かって叫ぶ。「バウンマン、ツー、バウンズ、プリーズ」。バウンズ担当は、「ツー、バウンズ、サンキュー」と答えながらバウンズを機械にセットする。こんなふうにして、カタカナ英語の作業用語が厨房を飛び交ってハンバーガーが完成する。

一度のオーダーが12ぐらい迄なら余裕だが、12月に入ると一度に24とか連続してバンバン入ってくる。冷凍のパティは凍って互いに張り付いているから、一枚一枚剥がすので24枚ともなると結構大変だった。

混んでくると客足を見ながら、オーダー担当のマネージャーが先読みしてオーダーを出す。当時は作って15分で廃棄されていたのだが、作りすぎると無駄になるからマネージャーの読みも売上に影響する。

そんな忙しく立ち働く厨房の中でも、人間関係の煩わしさを感じることはあった。

私は接客はまったく苦手だが、単純作業は苦にならなかった。むしろ単純であればあるほど落ち着いて、飽きること無く続けられた。

私はものごころ付いた時から、草刈り用のカマで枯れ木を削って作った刀でチャンバラごっこをしたり、篠竹で紙鉄砲を作ったり、竹で弓矢を作ったりして遊んでいたので、包丁でりんごの皮むきや玉ねぎのみじん切り、キャベツの千切りなどは得意だった。

ある日、私が玉ねぎをみじん切りしたり、キャベツを千切りしていた時、少し離れたところから私の方に向いた視線を感じた。

私がそちらの方に顔を向けると、私よりずっと前に入ったアルバイトの大学生の男が、機嫌の悪そうな顔をして私を見ていた。

その男は歳も私より2つ上で、学校は違ったが学年は当然私よりも上で、厨房の中では一番の古株だった。

人間には初対面から気が合わない人がいるもので、私とその先輩アルバイトの関係もそうだった。初めて会った時から、私に敵意を含んだ眼差しを向けていた。

「なんだ、このバウンズ。穴が開いてるじゃないか!」

私がまだ入りたてでバウンズ担当だった時、その先輩はバウンズの入った袋を開けてバウンズをチェックし始めた。12個ほど入った袋には大抵1個ぐらいは気泡で空いた穴のあるバウンズがあった。

先輩は、バウンズの穴の空いたのをまるで私の責任のような目つきで指摘した。

「こんな穴の空いたのなんか使うんじゃないよ!」

『別に自分が用意したんじゃなく、使う時に避ければいいだけの話だけど…』

そう思いながらも、新米の私は黙ってうなずいていた。

それからも、何かにつけて先輩は私のあら捜しをした。

オーダーに答える声が小さい、オーダーがない時は周りをきれいにしろ、無駄話はするな、から始まり、私が作業に慣れてきた後も、ハンバーガーの焼き方があまい、ピクルスの置き方が悪い、ケチャップはもっと綺麗にかけろなど、初心者に対するような叱責をみんなの前でした。

あまりのイビリのような意地悪さに、目撃したマネージャーが先輩に注意したことがあった。その時は神妙に従ったような顔をした先輩は、その後もネチネチと私への干渉を続けた。

私は不思議でならなかった。どうして初対面の頃から敵意を抱いているのか?

確かに万人に好かれる人などいないかもしれない。それでも、初めて会った時から嫌な視線で見られる不可解さに私は悩んだ。

そういえば中学1年の時の帰りのホームルームで担任教師から、「○○、お前はいつも嫌な目つきをしているよな!」と、突然名指しされたことがあった。私は瞬間何が起きたのか戸惑った。黙って担任の話を聞いていただけなのに、叱責された意味とか理由が理解できなかった。

もしかしたら、生まれつきの私の目つきや顔つきが、人に不快感を与えているのかとも考えた。しかし、例えそうだとしても、おとなしく話を聞いていた生徒に向かって、同級生の前でそんな言葉を投げるだろうか?

迷うのは、初対面から私に好意を持って対応してくれる人間もいるからだ。初めて会った時から心地よい安心感、信頼感、親しみを感じさせてくれる人間もいる。相手も同様の感じ方をしてくれているのが分かる人がいる。

この両者の違いは何だろう?

この厨房でも、最初から私に温かい眼差しを向けてくれる先輩もいる。ベタベタしたコミュニケーションが苦手な私にも、向こうから好意を持って迎えてくれる人がいる。

歌舞伎町の街がクリスマスの飾り付けになった頃、職場でもクリスマスパーティが催された。持ち寄ったプレゼントを交換したり、ゲームやダンスをしたりして賑やかな時間を楽しんだ。

当時はディスコダンスの全盛期で、このパーティでも音楽に合わせて踊ったり、チークダンスをしたりした。

飲み慣れないお酒を飲んで浮かれた私は、アルバイトの年上の女子学生とチークダンスではしゃいでしまった。自分でも浮ついていることを感じながら、相手をしてくれた女性に好意を持ってしまった。その女性も私に同じような思いをしてくれているのが、恥じらう笑顔でわかった。

人生で初めて味わう幸福感に包まれて、酔いの混じった眼差しでふとソファーの方を見た時、冷ややかに私を見つめるあの先輩の視線があった。

それは殺意のような視線だった。その瞬間私は理解した。先輩の敵意の原因は嫉妬だと。

その夜、私のチークダンスの相手をしてくれた女性は、私が入った時から気になっていた人だった。挨拶程度しかしたことはなかったが、私はほのかな恋心を抱いていた。その女性も、私に好意を持っているような感じを私は受けた。

そういう雰囲気を、その女性に思いをはせていた先輩は敏感に受け止めていたに違いない。私が先輩に初めて会ったと思っていた時には、先輩の鋭い神経を私は乱していたのかもしれない。私と彼女が身体を近づけて静かに踊るのを、先輩は煮えくり返る心で見つめていたのだ。

そのパーティの後、私の心はむしろ軽くなった。先輩の理不尽さの正体がわかったからだ。

人というのは勝手なもので、人の好意には理由を探さなくても、人の敵意には理由を求めずにはいられない。

執拗な先輩の意地悪に嫌な思いはしたが、ある種人間的な嫉妬という明確な正体が判明した後では、気持ちの悪い不快感はなくなっていた。理由のある敵意なら、私は耐えられるのだ。

感想

今回も実体験を元にしてみた。遥かな昔の思い出だが、思い返してみると昨日のことのように蘇ってくる。

今回は虚実の割合が、圧倒的に実の方が多くなった。実から虚へ浮上することが難しかった。そういう意味では失敗かもしれない。

それでも、私の思い出にケリをつけたような感覚は覚えた。こういうのを私小説というのだろうか?経験に意味を探るような行為が私小説だとしたら、私小説というのも面白いかもしれない。

私のこれからの課題は、奇想天外な発想ができることだと感じている。おとぎ話のような架空の世界を飛び回る力がまだない。

身の回りをウロウロしているだけのような気分だ。まだまだ助走が足りないのだろうか?

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