小説を書くには、先ず物語の種を見つけなければなりません。
私は物語の種は、作者の記憶や思い出の中に眠っていると考えています。
作者の中に眠っているのなら、それを目覚めさせることができれば、物語の種は無限に手に入れることができます。
「野球帽」のブレインダンプで出てきた思い出
「私の好きなもの」をブレインダンプしていて出てきた「野球帽」という言葉をさらにブレインダンプしてみました。
目的は、自分の頭の中から出てきた言葉には記憶や思い出が残っていて、そこから物語を発見、あるいは創造できないかと思ったからです。
その根拠は、記憶や思い出として残っているのは、何か心に響くものを感じたからだと思うからです。
その何かの中に、物語の種があるのではないかと考えました。
「野球帽」から最初に出てきた言葉(記憶・思い出)は次のようなものでした。
- 型崩れをさせない厚紙
- 遠足でお菓子をもらい歩く
- バッジ
私の子供の頃、野球帽のマークが付いている前の部分を丸めずに立てるのが流行っていて、型崩れしないように、中に厚紙を入れていました。
小学1年の秋の遠足の昼食の時に、クラスの男子が女子のところを回って、「おめぐみをー」などと言いながら、お菓子を野球帽の中にもらい歩いてふざけたことがありました。
安全ピンの付いた小さな金属のバッジを、野球帽の横にいくつも飾っていたのを思い出しました。どんなデザインのバッジだったのかは思い出せません。漫画のキャラクターか何かの宣伝のマスコットだったのか。
更に頭を絞っていくと、次々と思い出につながる言葉が出てきました。
- 初めての野球
- 干からびたグローブと古いユニフォーム
- 初めて買ってもらったグローブ
- 転校生の新しい友達
- キャッチボール
私が小学3年生の時に、町内会のお祭りの行事で、中学生以下の野球大会がありました。
軟式野球は私には初めての経験でしたが、大会の前には近所のお寺の境内で上級生の指導で練習をした記憶があります。
練習の時に私が持参したグローブは、はるか昔に父親が使っていたグローブで、皮がひび割れているだけでなく、形も崩れてしまって、とてもボールを取れるようなものではありませんでした。
外野に飛んだフライを取る練習で、私はボールをキャッチしたつもりでしたが、ボールはグローブから飛び出してしまいました。
「そんなグローブじゃなかったら、今のは取れてたよ」
と上級生たちは慰めてくれました。私は不細工なグローブを恥ずかしく思いました。
私は父親に新しいグローブを買って欲しいと頼みました。当時はグローブは高価な買い物でしたが、大人が使うような大きなグローブを買ってくれました。
野球大会の当日、父親は自分が中学生の頃に着ていた野球のユニフォームを出してきました。
「これ、着てけばいいよ」
父親はそう言いましたが、黄ばんで傷んだユニフォームは時代遅れの骨董品のような代物で、恥ずかしくてとても着られませんでした。
その頃、近所に転向してきた同級生がいましたので、体操着の二人は自転車に乗って野球大会の行われる大きな公園まで出かけました。
思い出から物語の種を見つける
この野球大会にまつわる記憶が、私の心の中に鮮明に残っているのはなぜだろうと考えました。
すると「ある情景」が浮かびました。
「バカ!何やってんだよ!カバーしろよ!」
一塁を守っていた上級生が、鬼のような形相をして、ライトの守備についていた私に怒鳴りました。
三塁手が一塁に投げたボールが横にそれて、私がそのボールを取りにいかずに、ぼーっと眺めていたのを怒ったのです。
私は「カバー」という言葉の意味もわからないまま、急いで転がるボールを追いかけました。
後から私の中に、鬱屈したものが湧いてきました。
「初めての野球なのに、あんなに怒って…」
「フライを取る練習を一度やっただけで、一塁が取りそこねたボールを追いかけるなんて知らないのに」
「自分が取りそこなったカッコ悪さを、こっちに八つ当たりして」
練習の時にはニコニコして優しかった上級生が、人が変わったような態度を見せたのが私にはショックでした。
その上級生は大きなホームランを打って、見守っていた大人達から拍手を受けて喜んでいました。
3年生の私と同級生以外は、6年生と中学生ばかりでした。二人は、足りない人数合わせのために駆り出されたような存在でした。
私は、なんだか利用されただけのような気がして、野球そのものが嫌なものに感じました。
この時の「不快な記憶」の中身、「上級生の豹変と称賛への嫉妬」は、物語の種にならないかと考えました。
「野球帽」の物語を考える
私が感じた不快な記憶から、物語を見つけること、あるいは創造することができるか考えてみます。
テーマ
少年の淡い嫉妬
コンセプト
初めて野球大会に駆り出された少年が、練習では優しかった上級生の試合での変貌に驚き、華やかな祝福を独り占めする上級生に嫉妬する。
プロット
起:初めての野球
- お寺の境内での練習
- 「グローブが悪いよ」
承:黄ばんだユニフォーム
- 父の黄ばんだユニフォーム
- 新しいグローブ
転:上級生の罵声
- 「バカ!カバーしろよ!」
- 上級生の大ホームラン
結:踏みつけた野球帽
- 上級生への嫉妬
- 同級生とのキャッチボール
あらすじ
小学3年生の少年は、町内会の少年野球大会に駆り出されることになったた。少年は軟式ボールに触れるのも、バットを持ったこともなかった。
たった一度の練習は、近所のお寺の境内で行われ、少年以外は6年生や中学生ばかりだった。
飛球を取る練習で、少年はボールを弾いてしまう。少年のグローブはひび割れて古びたグローブで、上級生たちのものに比べてとてもみすぼらしかった。
「今のはちゃんと取れてたよ。お前は上手いのにな。そのグローブが悪いんだよ。もっといいグローブを買ってもらえよ」
上級生たちは優しく励ましてくれた。
野球大会の前の日、少年の父親が黄ばんだユニフォームを少年の前に出した。
「これは俺が中学生の時に使ってたユニフォームだ。だいぶ古くなって汚れてるけど、まだ着れるだろう。これを明日着ていけよ」
「こんな古いのだめだよ。恥ずかしいよ」
少年はそう言いながら、ユニフォームを着てみると、大きさがだぶだぶで、ところどころに穴が空いている。
「やっぱりだめだよ。大きすぎるし、穴だらけだよ」
父親は残念な顔をしながら、少年が脱いだユニフォームを手にとって眺めた。
父親は自分が着たユニフォームを着て欲しかったのだと少年は思った。
父親は横においていた袋から真新しいグローブを取り出した。
少年は手にとってグローブの匂いを嗅いだ。皮とクリームのいい匂いがした。
野球大会当日は朝方に少し雨が降ったが晴天に変わっていた。体操服を着た少年は、転向してきたばかりで近所に住む同級生と、大会会場の大きな公園まで自転車で出かけた。
軟式野球の試合に初めて出た少年は、バッターボックスに立った時、相手の中学生が投げてくるボールの速さに、思わず身をすくめた。
少年はバットを振るのも初めてだった。お寺の境内でやったのは、フライを取る練習だけだった。
「当てるだけでいいぞ、当てるだけで」
少年は味方のチームの声援に余計に緊張してしまい、何もできずに見逃しの三振に終わった。
少年がライトの守備についている時だった。三塁手が一塁へ投げたボールが少し横にそれた。
ボールがファールグランドに転がっていくのを少年はぼんやり眺めていると、一塁を守っていた上級生が少年に向かって叫んだ。
「バカ!何やってんだよ!早くカバーしろよ!」
少年は「カバー」の意味がわからなかったが、上級生の鬼のような形相に驚いて、急いでボールを追いかけた。
守備に戻った少年は不快な気持ちになった。
「こんなこと教えてもらってないのに…」
「あんなに怒らなくたって…」
「自分が取れなかったくせに…」
楽しいと思っていた初めての野球の試合が、急に嫌な思いの場になった。
その後の試合の中で、少年に怒鳴った上級生は、逆転の大きなホームランを打って、応援席の大人たちから祝福の拍手を受けて有頂天の笑顔を見せていた。
少年は上級生が応援席に手を挙げて答えているのを見ながら、「バカ!カバーしろよ!」と怒鳴った時の顔を重ねていた。
上級生の得意気な笑みが、少年の屈辱を踏み台にして華やいでいるように思えて、少年は上級生に悔しい思いで嫉妬した。
少年は、自分が惨めに思えて情けなかった。
野球の経験もない自分が、足りない頭数のためだけに引っ張り出されて、ろくに練習もしないのに怒鳴られて。
少年は、一緒に来た同級生の方を見た。同級生は、試合に出ずにずっとベンチに座っていただけだったので、つまらなそうな顔をして黙っていた。
同級生の手元には、おそらく買ったばかりと思える汚れていないグローブがあった。
試合が終わると少年は同級生に言った。
「もう帰ろうか?」
「うん」
まだ閉会式が残っていたが、少年と同級生は、上級生たちに声をかけず、そっと球場を抜け出すと自転車に乗って帰った。
帰り道に空き地があった。
「あそこでキャッチボールやる?」
少年は後ろを走る同級生に振り向いた。
「うん」
同級生はニコリと微笑んだ。
二人は自転車を降りて、空き地の中へ入った。
その時風が吹いて、浅くかぶっていた少年の野球帽が飛ばされた。
野球帽が落ちたところは水たまりになていて、白い野球帽が茶色い泥で汚れた。
少年は野球帽を拾い上げ、軽く振って泥を落とした。
新しいグローブと一緒に買ってもらった真っ白な野球帽の半分が汚れてしまっていた。
少年は泥を手できれいに落とそうとした。しかし、かえって泥の粒が広がり、前より汚くなった。
少年は仕方なく、汚れた野球帽をかぶり直した。
二人は少し湿った草の上でキャッチボールを始めた。
同級生はまだ慣れていないらしく、捕球すると良くボールを落とした。
気まずそうにする同級生に、少年は気にしない顔でこたえた。
同級生の捕球はぎこちなかったったが、懸命にボールを取ろうとしている。
少年はボールを投げながら思った。
「来年は野球大会に出ない」
二人はキャッチボールを続けた。
思い出から物語の種を見つけようとした感想
- 思い出の核となる部分ーどうして記憶として残っているのかという理由が、物語の中心部分(起承転結の転の部分)につながるのだと思った。
- 今回は「野球帽」が「モチーフ」(物語全体を貫くテーマのシンボル)になり得ると思ったが、前半で扱うことができずに不完全に終わってしまった。
- やはり物語を見つけたり作ったりするには、起承転結の転の部分を手に入れることだと感じた。