
70歳を過ぎた今でも脳裏から消えない情景がある。
おそらく私が3歳か4歳頃の記憶だと思う。冬の寒い朝で、私の家の前の畑には白く霜が降りていた。古い木造の平屋の我が家は、それほど広くはない畑の後ろに建っていた。
母は私を背負って、畑の中を歩いている。私は温かい布に包まれて、肩越しに母の穿いている下駄の動きを見ていた。
母は私をおんぶして、近所の商店へ買い物に行ったと覚えている。田舎だった私の生まれたところでは、近所でたった一軒しかない商店だった。
その店にはお酒や米、菓子パンやお菓子、醤油や塩などの調味料が置かれていた。私はその店のチョコレートの入った巻き貝のようにねじれたパンが好きだった。今なら「チョコロールパン」とでも呼ぶのかもしれない。
今回は、私が生まれてから一番最初の記憶を材料にしたいと思う。特に何の意味もない幼い日の記憶の断片だが、こんな小さな記憶からでも物語のワンシーンは生まれるだろうか?
母に背負われた冬の朝の記憶
当時の多くの娘がそうだったように、母は小学校しか出ていなかったが、街なかで育った娘にとって、嫁ぎ先の農家の嫁としての立場は居心地の良いものではなかった。
農家といっても小さな畑がいくつかあるだけの兼業農家で、私の父は勤め人をしながら休みの日だけ畑仕事を手伝っていた。
だから毎日の畑仕事は母と祖父だけでやっていたが、その祖父という人が偏屈な年寄りで、慣れない母はいつも怒鳴られながら従っていた。
祖父はいつも機嫌の悪い顔をして、気に入らないことがあると辺り構わず当たり散らした。明治生まれの祖父にとって、畑仕事の満足に出来ない嫁は最初から不満に思っていた。
用事があって母の兄が訪ねてきた時など、「何しに来やがった!」などと平気で言うような祖父だった。
普通は嫁をいびるのは姑(しゅうとめ)と決まっていたが、祖母は既に他界していたので舅(しゅうと)がその役目をしているというふうだった。
一日畑で働いた祖父の楽しみは夕飯の後の焼酎だった。酔うということもなく、五合瓶からガラスコップに注いだ焼酎を、苦いものでも飲むように黙って口に運ぶだけ。本人にとっては極上の一時なのだろう。
夕飯時というのは家族団らんの時間だが、私の家ではそういう雰囲気ではなかった。祖父の機嫌を損ねないように、他の家族は口を開くこと無く黙って食事をした。
父は温厚な性格で傍目には人当たりも良かったが、祖父には頭が上がらないようで、妻が理不尽に扱われても見てみない振りをしていた。
夫に不満を訴えても何も改善しないことを悟ると、母は夫への期待は諦めた。しかし二人きりになると、感情を抑えきれずに不満の言葉を夫に浴びせることもあった。
そんな境遇だったから、買い物で家を少しでも離れるのが母の唯一の安らぎだった。
あの冬の朝も、母は私を背負って近所の商店へ出かけた。温かい布で覆われた私は、母の背中に揺られて、霜の降りた畑を肩越しに見ていた。
「サクッ、サクッ」と霜を踏んで行く母の下駄の音。母は私を背負いながら何を思っていたのだろう。
田舎のことで、近所にはたった一軒の商店しかなかった。商店と言っても小さな店で、雑貨の他には酒や調味料と菓子パンが置いてある程度だった。
祖父の飲む焼酎もこの店で買っていたが、その日は菓子パンを買うのが母の目的だった。私はクリーム状のチョコレートの入った巻き貝のような形のパンが好きだった。母は私のためにそのパンを一つだけ買いに来たのだ。
母からそのパンを受け取ると、私はチョコレートの上にかかった油紙をはがし、巻き貝の形のしっぽの方からかじりつき始めた。チョコレートが最後になるように食べるのだ。
夢中でパンを食べる私を見ることで、母の何かが救われたのだと思う。
チョコレートを口の周りに付けながら、モグモグと頬張らせている我が子を見るだけで、どんなに癒やされたことだろう。
「こんなことも出来ねえのか!」
と毎日祖父から怒鳴られている母にとって、幼い私は存在しているだけで救いだったに違いない。
それから間もなくして、母の境遇に変化が起きた。毎晩の焼酎のせいか分からないが、祖父が重い神経痛を病んで床に伏せることになった。
便所にも立てなくなった祖父は、下の世話まで母に頼るようになった。しかし、寝たきりになっても祖父の偏屈な性格は変わらなかった。
大便の始末も世話になりながら、些細なことでも母に向かって怒鳴っていた。母は臭い祖父の大便を新聞紙にくるみながら、腹の底で思っていたに違いない。
『早く死んでしまえ!』
それから一年程して祖父は旅立った。その間母は耐えながら何度密かに呪ったことだろう。
『早く死んでしまえ!』
祖父の葬儀の日、嫁いでいた祖父の娘が亡骸の前で涙を流していた。「死んでしまえ!」と呪われた祖父が、実の娘からは悲しみの涙で送られていた。
家の奥の座敷に横たわった祖父の顔には白い布がかけられていた。時々弔問客によって白い布はとられて祖父の横顔が現れる。
私は、母をいじめ尽くした祖父が、まるで生涯で何かをやり遂げたような顔をして静かに眠っているのが不思議でならなかった。
死というものが、それだけで人を荘厳なものにしているようで、私には腑に落ちなかった。死というものは、そんなに偉いものなのか?
葬儀の間、母がどんな表情をしていたのか、どんなふうに弔問客に振る舞っていたのか、何度思い返しても私の記憶には残っていなかった。
感想
今回は私の記憶の中に残る一つの情景を材料にしてみた。
事実と架空の間を行き来しながらワンシーンを描写してみた。厳密にはいくつかのシーンが連なっているが、断片的という意味でワンシーンとした。何かの物語の一部分という意味だ。
今回感じたのは、自分が体験したことから架空の世界に飛躍するにはある種のエネルギーが要るような感じを持った。
自分の体験には個人的な思いがあり、その思いを客観視しなければならないような力が必要なのだ。
描写しながら思っていたのは、「これには何かの意味がなければ」というような要求だった。物語に必要な何かがなければという思いだ。
それは何かの事件かもしれないし、大きな変化かもしれない。物語には「変化」が必要なのだと感じた。