
今年の夏私は蛇を3度見た。
私は毎朝2時間ぐらいの散歩をしている。その途中にアオダイショウに2度、ヤマカガシに1度出くわしてしまった。
蛇嫌いの私には無毒なアオダイショウが眼の前を横切ったのにも驚いたが、毒蛇のヤマカガシが私の直ぐ横を這い進んでいたのには恐怖した。
地味な青緑色のアオダイショウに比べて、ヤマカガシは不気味な程鮮やかなオレンジと黒の縞模様の胴体をしている。
体調1.5メートルぐらいの良く肥えたヤマカガシが、長い下り坂を歩く私の直ぐ横の草むらを並行するように這っていたのだ。
驚いた私は飛び跳ねるように離れ、その場から逃げるように先を急いだのだが、ヤマカガシは身体をくねらせながら私を追いかけてくるように見えた。
走り出していた私は何度も後ろを振り返り、ヤマカガシが見える範囲にいないのを確認した。
今回はこの時の体験を材料に、物語のワンシーンのようなイメージを想像しながら描写する練習をしてみたい。
散歩中に出くわしたヤマカガシ
私が毒蛇のヤマカガシに出くわしたのは、道路の両側に大きな霊園が広がる長い下り坂の歩道を歩いている時だった。
それまで私は、ヤマカガシという蛇の名前ぐらいは知っていたが実際に見たことがなかった。だから、毒々しいオレンジ色と黒色の縞模様の胴体をした蛇がヤマカガシとわかったのは後で調べてからだ。
この辺りの歩道の隅は、夏草が無造作に生えたままになっている。暑い盛りだから、ヤマカガシも涼しい場所を求めて移動していたのかもしれない。
私は爬虫類が苦手で、特に蛇は大嫌いだ。蛇を見るのも嫌な私は、長い胴体を力強くくねらせながら勢い良く草の中を進んでいくヤマカガシから走るように逃げた。
ヤマカガシと私は競争するように坂道を下った。もしかしたらヤマカガシの方も私に気づいて逃げていたのかもしれないが、私にはヤマカガシが追ってくるように感じた。
私は何度も振り返りながら、ヤマカガシが見えなくなるところまで走った。
『ここまで来れば大丈夫だろう』
私は首筋の汗を拭いながら立ち止まって後ろを見た。ヤマカガシの姿はもう見えなくなっていた。
私が安堵して歩き出した時、坂の下から自転車を押しながら、白髪頭の老人が登って来るのが見えた。
『ヤマカガシのことを教えてやった方がいいだろうか? それとも余計なお世話だろうか?』
若い頃の私だったら、迷わず教えてやっただろう。しかし、善意のつもりでやったことを迷惑がられたことを何度か経験した今では、迷うのだ。
しかし、おそらく毒のある蛇だと思っていた私は、思い切ってその老人が眼の前に来た時声をかけた。
「あそこの草の生えたところに蛇がいましたよ。気を付けた方がいいですよ」
蛇がいた辺りを指差す私の方を、老人は見ることはなかった。老人は少し耳が遠いのかと私は思って、前より大きな声で話しかけた。
「ヤマカガシがあそこの草のところに…」
私が言いかけると、老人は足を止めた。
「うるせえんだよ。蛇ぐれえで騒ぐなよ。馬鹿!」
私は何も言えずに、老人がまた自転車を押しながら坂道を登っていくのを見るしかなかった。私は自分が何か悪いことをしてしまったような嫌な気分になった。
私が指差した辺りに達した老人は、草むらを片足で踏みならしたかと思うと、私の方に顔を向けた。
「何もいねえじゃねえか。馬鹿野郎!」
老人は吐き捨てるように言うと、また自転車を押して歩き出した。私は嫌な夢でも見ている気分になった。予想しなかった嫌なことが眼の前で起きて信じられない気持ちだった。
よく見ると老人の押す錆びた自転車の荷台にはプラスチックのバケツが縛り付けられていて、その中から白と黄の菊の花が数本覗いている。墓参りへ行く老人だったのかもしれない。
私は考えたくもなかったが、どうしてあの老人が悪態をついたのかに思いをはせた。
『家で嫌なことでもあったのか? いや、あの雰囲気では一人住まいに違いない。先立たれた妻の墓参りに来たのだろう。きっと、もともとひねくれた性格の老人なのだ』
しばらく老人の後ろ姿を見送った私は、振り返ってまた歩き出した。すると、今度は小さな男の子の手を引いた若い母親が坂を登ってきた。
私は少し迷った。教えてやるべきか、黙って通り過ぎるげきか。私は黙って親子の横を通り過ぎた。
しばらく坂を下った時、後ろの方で母親と思われる叫び声がした。
私が振り返ると、草むらから逃げるようにして、子供の手を引いて走り去る母親の姿があった。運悪く、あの親子は蛇に遭ってしまったのだろう。
私はまた嫌な気分になった。どうして教えてやらなかったのか? 自己嫌悪のような嫌な気分が湧き上がった。
一貫しない私の性根。ふらついた私の性根を見てしまったような暗い気分に私は襲われた。
私は、さっきの老人からも、あの親子からも、更にヤマカガシからも冷たい視線で見られているような嫌な気分になった。
感想
まさか老人が登場するとは思わなかった。
老人には何か事を起こして欲しかった。問題が起きなければ物語が始まらないと思ったからだ。
その後、また親子が登場した。何故か私は親子連れを想像してしまう。親子連れに物語を予感してしまうからなのだろうか?
結果的には自責の念みたいな感情を抱くところに落ち着いて今回のシーンは終えた。ヤマカガシに出くわした体験からは想像もしなかった結末に至った。
今回の収穫は、「何か事が起きなければ物語にならない」みたいな感覚を覚えたことだ。この感覚はきっと大事なことだと思う。