
私の心の中には幾つもの断片的な情景がある。その一つに「大きなビー玉を抱えた少年」のイメージがある。
ビー玉とはガラスで出来た豊かな色彩模様の付いた球状の玉で、私の子供の頃にはパチンコ玉くらいの小さなビー玉を当てっこして遊んだものだ。
私のイメージの中の少年は10歳くらいで、白い半袖のシャツに薄茶色の半ズボン姿をしている。少年は小さな金魚鉢ほどの大きさのビー玉を、胸の前に大切そうに抱えて歩いてくる。
季節は夏で、もしかしたら夏休みのある一日のようにも思える。少年には太陽の日差しが注いで、ビー玉に反射した光は少年の顔を明るく照らしている。
少年はビー玉をじっと見つめたまま黙って歩いている。少年はどこから来て、どこへ行こうとしているのだろう?
大きなビー玉を抱えた少年
少年の両手の中のビー玉は、オレンジ色や黄色、青色や緑色など、様々な色がビー玉の中心から放射状に不規則な模様を広げている。
「お母さん、僕はいつもこの道を通って学校に行ってるんだよ」
少年はビー玉に話しかけるように言った。
今まで少年とビー玉に注いでいた日差しは、道の縁に沿って植えられている背の高いケヤキの木によって遮られた。
「向こうの公園で、学校の帰りに友達と遊ぶんだよ。えっ?僕にだって友達はいるよ。ほんとだよ、お母さん」
少年の顔は少し赤らんだ。
ケヤキの上の方からアブラゼミの鳴く声が聞こえる。少年はビー玉を左手で支えて、右手で額の汗を拭いた。
「お母さん、あそこで少し休もうか?」
少年は公園の入口から、ベンチの置いてある砂場の方へ向かった。公園の砂場には、おもちゃのシャベルで遊ぶ2歳くらいの女の子と、優しく見守る母親がいた。
女の子は黄色い帽子を阿弥陀にかぶって、何か一人でつぶやきながら夢中で砂を掘っている。女の子の母親は、子供に話しかけながら幸福そうに微笑んでいる。
少年は砂場の前のベンチに腰を下ろした。ビー玉は少年の膝の上にある。砂場とベンチの辺りは、丁度この時間は木陰になっている。
「お母さん、僕もあんなふうに遊んでいたのかな?」
女の子の母親は、少年の小さな声が聞こえない距離にいた。しかし、女の子には少年の声が耳に入ったらしく、少年のいる方へ顔を上げた。
少年と女の子の視線が合った。女の子はニコリとした。少年もつられて微笑むと、直ぐに恥ずかしそうにした。
女の子は少年の膝の上のビー玉に気がついて、持っていたシャベルを放り投げて走り寄ってきた。
「わーい」
女の子はビー玉に飛びついた。すかさず女の子の母親も駆けつけてきた。
「○○ちゃん駄目よ、触っちゃ駄目!」
女の子の母親は子供を抱きかかえて連れて行こうとするが、女の子はダダをこねてビー玉から離れようとしない。
「○○ちゃん、駄目!」
母親は申し訳なさそうに少年に頭を下げる。女の子はビー玉から手を離さずに泣き出した。
少年は黙ってビー玉を女の子に手渡した。女の子はビー玉を受け取ると泣き止んで嬉しそうな顔を少年に向けた。
女の子は手にしたビー玉を少し眺めていたかと思うと、突然砂場の方へ投げた。
「あっ、駄目!」
母親の叫び声の中、ビー玉は砂の上を転がっていく。女の子はビー玉を追いかけて行く。女の子の母親も慌てて追いかける。少年はその様子を静かに見守っている。
女の子はビー玉を砂の中に埋めようとしたいのか砂をビー玉にかけている。母親は少年の方を心配そうに伺いながら女の子に付き添っている。
「お母さん、僕もあんなふうに遊んでいたのかな、お母さんと」
少年は立ち上がると女の子の横に腰を下ろし、一緒になってビー玉に砂をかけ始めた。女の子は少年に微笑んだ。少年も微笑んだ。
すっかり砂に埋もれたビー玉は、小さな砂の山になった。女の子は手を叩いて喜んだ。女の子は母親の方を振り返って、また手を叩いた。母親も女の子が嬉しそうにしているのを微笑んだ。
少年は女の子を見つめながら思った。
『あ母さん、僕もこんふうに喜んで遊んでいたのかな、お母さんと』
少年は立ち上がった。
「ビー玉あげるよ」
そう言うと、少年は砂場から離れて行こうとした。女の子の母親は少年に向かって言った。
「いいんですか?本当に」
「うん」
少年は、砂の中からまたビー玉を出そうとしている女の子を振り返りながら言った。女の子は砂の山を掘り返している。砂の中からビー玉が少し顔を出した。
少年は楽しそうに遊ぶ親子を振り返ると、公園から出て、来た道の方へ帰って行った。
感想
このシーンを書き始める前は、まさか公園に行き、そこに母娘が登場するとは夢にも思わなかった。
どうしてそうなったかなんて理由はない。その時の気分としかいいようがない。このイメージの発端も結末も頭にないから、書き進めていくまでわからない。
ただ、ビー玉に話しかけるというイメージ、その相手が少年の母親というイメージは前からあった。私の中に在ったイメージは、少年がビー玉を抱えて歩いている情景で止まっていた。
そのイメージを今回先に進めてみた感じになった。その進んでいく先は、その時の気分で変わってくると思う。今回は公園という場所で、母娘という登場人物が想像されたが、違うイメージはいくらでも想像できるだろう。
このワンシーンから、何かの意味を見つけようとする必要はまだないと思う。いずれは必要になる時が来ると思うが、今の段階では敢えて考えずにおこうと思っている。
断片的な一つのイメージから、ワンシーンを描くことで、何かの物語が少し動いたような感触を得ることは出来た。