小説の実践練習4「タバコ」のブレインダンプで物語の種を見つける

小説の実践練習4「タバコ」のブレインダンプで物語の種を見つける

誰にも嫌いなものってありますよね?

それが物語の種になるとしたら、小説のアイデアを考えるのが楽になると思いませんか?

私にも嫌いなものはあります。どうして嫌いなのか?なぜ嫌いになったのか?

好きなものだけでなく、嫌いなものに対しても思い入れがあるはずです。

嫌いと思う理由の中に、物語の種が眠っているに違いないのです。

嫌いな「タバコ」でブレインダンプ

嫌いな「タバコ」でブレインダンプ

私の嫌いなものの一つに「タバコ(煙草)」があります。その理由をブレインダンプしてみます。

  • 体に有害
  • 服に匂いが体に付く
  • やけどする
  • 家具や壁がヤニで汚れる
  • ポイ捨て
  • 隔離する(場所を区切る)
  • 煙が出る
  • 息が臭い
  • 歯が茶色くなる
  • 禁断症状(止められない)

ブレインダンプしたものの中から、一番心に響くもの、あるいはアイデアがひらめくものを選びます。

私は「ポイ捨て」が、なんとなく「ピン」ときました。何か、ここから物語が始まる「予感」みたいなものを感じたのです。

自分が吸ったタバコを路上に平気でポイ捨てする人の心理ってどんなものなのか?

タバコをポイ捨てする人や、ポイ捨てされたタバコの吸い殻を嫌だなと感じる私の心理はなんなのか?

その辺りの心の中の様子を見つめていくと、物語が見えてくるような気がします。

タバコを「ポイ捨て」する人の心理をブレインダンプする

  • 価値の無くなったものは早く自分の所有でないものにしたい。
  • 所定の灰皿などの捨て場所を探すのが面倒臭い。
  • タバコの吸い殻ぐらいの小さなものを捨てても誰の迷惑にならない。
  • タバコは植物からできたものだから捨てても自然に帰る。

タバコの「ポイ捨て」を嫌う人の心理をブレインダンプする

  • 公共の美観や環境を自分勝手に汚すのが許せない。
  • 煙だけでも嫌なのに、吸い殻まで吸わない者に押し付けられるのが不満だ。
  • タバコをポイ捨てすることに、何の躊躇も感じていない無神経さが気に食わない。
  • タバコを吸わない人は、吸う人を気にしているのに、吸う人は吸わない人を気にもかけない不公平さが我慢できない。

タバコのポイ捨てをする人と嫌う人の心理をブレインダンプしてみました。

まだ具体的にはわかりませんが、これらの心理は、物語のどこかに生かされると思います。

主人公や敵対者の考えや行動の中に表れるのではないかと予想しています。

どうして「ポイ捨て」が物語になりそうと感じたのか?

  • ポイ捨てする側の自分勝手の無責任さと、周りが受け取る不快さのギャップに物語の種があるように感じたから。
  • 「ポイ捨て」する人の、価値の無くなったものへの冷たさの中に物語の種を感じたから。
  • 「ポイ捨て」する人を嫌う側の神経質な潔癖性の中に物語の種を感じたから。

ポイ捨てする人と嫌う人の心理がここでも現われています。

どうやらポイ捨てする人と、それを嫌う側の意識の違いや差の中に、物語の種がありそうです。

何を「ポイ捨て」する人なら面白いか?

タバコをポイ捨てする人を描いても面白くありません。何をポイ捨てしたら面白いのか考えてみます。

  • 愛を「ポイ捨て」する人
  • 国を「ポイ捨て」する人
  • 心を「ポイ捨て」する人

何を捨てるにしても、ポイ捨てする人は、その価値が無くなったと思っていて、一刻も早く捨てたがっています。

それを見ている者には、ポイ捨てする人が無神経で横暴な人、無知で我がままな人に映ります。

ポイ捨てする人と、それを見ている者との落差と対立から物語が生まれる、という想定です。

愛をポイ捨てする:

  • 役に立たなくなった親を捨てる。
  • 邪魔な子供を捨てる。
  • 利用価値のなくなった友人を捨てる。
  • 関係の冷えた恋人(夫・妻)を捨てる。

国をポイ捨てする:

  • 下級国民を守らない国を捨てる。
  • 上級国民だけの利益を保証する国を捨てる。
  • 英霊とおだてながら見捨てた国を捨てる。

心をポイ捨てする:

  • 忘れたい記憶をポイ捨てする。
  • 苦痛でしかない良心を捨てる。
  • 現実逃避のために社会への関心を捨てる。

「良心」をポイ捨てする人はどうか?

私が選んだポイ捨ては、

「苦痛でしかない良心を捨てる」です。

清く正しく美しく生きようとするけれど、苦しくて生きていけない。そのために良心を捨てる、という意味です。

一番心が惹かれた理由は次の通りです。

  • 持っていた良心と現実との軋轢(あつれき)に苦しむことで、単純でない主人公が想像できる。
  • 「良心と現実」という対立関係が明確。

当初想像していた、「ポイ捨てする人は無神経で横暴な人、無知で我がままな人」とは違ってきました。

良心と現実の間で苦悩する人に変わりました。こちらの方が複雑な主人公のイメージです。

苦悩する主人公が、傍目には「無神経で横暴な人、無知で我がままな人」に見られたら、更に主人公の苦悩が深まるように思えます。

ここで主人公への疑問が生まれます。

  • 主人公はどうして良心を苦痛に感じるようになったのか?
  • 主人公は良心を捨てて苦痛から開放されたのか?
  • 主人公が最後にどうなるのを期待するか?
    これらの疑問への答えを考えれば、物語の全体像が少し見えてくると思います。

主人公への疑問

主人公への疑問

主人公はどうして良心を苦痛に感じるようになったのか?

善人でもない自分が、周りから善人と思われること、また自分が善人と思われようと振る舞うことに疲れたのではないでしょうか。

では、どうして善人と思われるような状況になってしまったのか?

善人に思われたいのは、善人でない部分を隠したいためではないのか?それは、たとえば過去に犯した罪を懺悔する心からかも知れません。

「犯した罪は消えない。できるとすれば、罪を悔いながらまっとうな生き方、人のためになるような生き方をするしかない」

主人公は、自分を押し殺すように、つつましく、人のために生きようとします。

その姿は、周りから見れば善人に見えるに違いありません。

しかし、罪深い自分が善人のように見られることは、主人公にとって新たな罪を重ねるようで苦しみとなります。

「私は善人などではない。罪人なのだ。罪ある悪人が善人のように生きることは罪ではないのか?罪人は悪人らしく生きるべきなのではないか?」

そう悟った主人公は、善人としての良心を捨てます。

そもそも主人公はどうして善人として生きようとしたのか?

主人公が良心を捨てたくなった気持ちはわかりました。

それにしても、罪を犯した者がどうして善人としていきようと思ったのかが疑問に思いました。

普通、罪を犯したからといって、全ての人が清く正しく生きようとは思いません。

どういう罪だったら納得がいくでしょうか?

「人として許されないような罪」

例えば身体が不自由な同級生をがいたとします。主人公が小学生の時のエピソードです。

その同級生は頭が良くて、主人公の好きな女子生徒が好意を寄せています。

主人公にとって障害を持つ同級生は嫉妬の対象です。

その心の優しい女子生徒は、もしかしたら同情心から障害を持つ同級生に親切にしていたのかも知れません。

障害のある同級生は車椅子に乗っていました。登校と下校の時には、クラスで当番を決めて、車椅子を2階の教室まで運ぶことになっていました。

そうですね。学年としては6年生としておきましょう。体力的な問題がありますから。

嫉妬心を抱えた主人公は、車椅子を運ぶ当番の時に、わざと手を滑らせて、車椅子を階段から転がり落としてしまいます。

後頭部を階段に叩きつけられた同級生は、打ちどころが悪くて亡くなってしまいます。

例えばこのように、障害があるような弱い者を傷つけてしまったような罪だとしたら、罪滅ぼしに清く生きようとする意思は有りうることに思えます。

主人公は良心を捨てて苦痛から開放されたのか?

善人としての良心を捨てた主人公は、悪人として振る舞い始めます。

周囲は突然の変貌に驚き、裏切られた思いを強くしますが、直ぐに主人公を善人の仮面をかぶっていた悪人として扱うようになります。

周囲から悪人として見られるようになった主人公は思います。

「これが私の本当の姿なのだ。悪人と呼ばれ、蔑まれ、嫌われることが、犯した罪への罰であり償いなのだ」

しかし、主人公の心は晴れることはありませんでした。

悪人であろうとすることもまた、自分の心に嘘を付いているようにしか思えなかったのです。

「自分は決して善人ではないけれど、悪人にもなれない」

主人公は善人にも悪人にもなれずに苦しみます。

主人公が最後にどうなるのを期待するか?

「自分は善人じゃない。そう思っても悪人にはなりきれない」

善人と悪人の間で、主人公の良心は揺れ動きます。

しかし、最後には良心を取り戻して善に向かって生きてほしいと思います。

主人公が再び良心を取り戻すきっかけは何か?

苦しみながら悪人として生きる主人公が、良心を取り戻すには、相当の出来事が必要です。

犯した罪を償うような出来事が考えられます。

「私は善人にも悪人にもなれない。こんな私が生きていて何の意味があるのか?」

そう思いながら主人公は、パチンコ店のアルバイトを終えて、駅のホームで最終電車を待っています。

主人公が携帯を見ていると、近くで「あっ!」という叫び声がします。

主人公が振り返ると、泥酔した男がホームから線路へ転がり落ちたところでした。

「キャー!」という女性の叫び声があちこちから聞こえますが、誰も落ちた男を助けようとはしません。

「あっ!電車が来たぞ!」

最終電車がホームへ入って来ます。辺りは騒然としてきます。

その時、主人公は何も考えることなく、ホームから飛び降りて男を抱き起こし、電車が通り過ぎる寸前のところで二人共ホームに転がり込みます。

主人公はこの時、集まってきた人たちの興奮した声を聞きながら、無心になった清々しい気持ちになっていました。

「私の中にもまだ良心は生きていた。捨てたはずの良心が…」

このようにして主人公は、再び良心を信じ、善に向かって生きようと決めるのです。

物語のコンセプトを考えてみる

ここまでブレインダンプや想像したこと、湧いてきた疑問と答えを出してみたことなどを踏まえて、物語のコンセプトを考えてみました。

「過去に犯した罪への懺悔から、正しく生きようとした主人公は、善人であろうとすることが偽善に思えて苦悩し、その苦しみから逃れるために良心を捨てて悪人として生きようとするが、良心を捨てきれない自分がいることに気づき、苦しくとも再び清く生きようと誓う」

物語の種を見つける実践練習の感想

物語の種を見つけるには、頭の中から自分でも忘れたと思っている記憶を呼び起こすブレインダンプをして、出てきたことに疑問を問い続けることだと実感できた。

ブレインダンプと疑問を問い続けること、これが全てだと今の私は強く思います。

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